こんにちは、ゆーんです。
先日、胎児ドックで紹介された大学病院へ行ってきました。
胎児心臓病を専門とする小児科の先生に、30分近く心臓だけをしっかりエコーで診てもらいました。
お腹の赤ちゃんは、先天性の心疾患でした。
先天性心疾患
産まれながらにもつ心臓の病気を、総称して『先天性心疾患』と呼びます。
自然に治るものもあれば、治療や手術が必要なものもある。
胎児ドックで診てもらった際には、お腹の赤ちゃんは『ファロー四微症』ではないかと言われていました。
これまでブログでは病名については触れてきませんでした。
確定診断ではなかったことと、文字にしてしまうとなんだか現実になってしまう気がして…怖かったのです^_^;
でも専門の先生にはっきり“心疾患”であると診断された以上、目をそらしてもいられなくなりました。
『ファロー四微症』も幼少期の手術が必要な重い病気だったのですが、実際に診断された『総動脈幹遺残症』はその『ファロー四微症』よりも更に重篤で、稀な病気。
産まれてすぐに、手術が必要な病気だと言われました。
総動脈幹遺残症
心臓からは、通常全身へ血を送り出す血管と、肺へ血を送る血管の2本が出ています。
もともと心臓からは総動脈幹という太い1本の血管が出ているのですが、心臓を形成していく上でその間に壁ができ、全身と、肺へ向かう2本の血管に分かれる。
その壁の形成が上手くいかず、太い1本の総動脈幹が残ったまま、その途中から枝分かれするように肺へ向かう血管が伸びてしまう心臓の異常。
それを、『総動脈幹遺残症』といいます。
先生からのお話を噛み砕いて理解した内容です。
もし誤りがあれば教えてください。
この何がいけないかというと、お腹の中にいる分には問題ないのですが、外に出て、自分で呼吸をし始めると、心臓が全身へ血を巡らせるよりも近くて楽な肺のほうに、たくさんの血液を送ってしまうようになるということ。
全身への血の巡りが上手く行かなくなり、呼吸不全に陥ってしまうのです。
それを防ぐためには、肺へ向かう血管を細く縛り血の流れる量を調節(姑息手術)し、早い段階で枝分かれした血管は切り取り、肺と心臓を繋ぐ導管を入れる手術(根治手術)をしなければなりません。
手術の成功率は、赤ちゃんが3キロほどで産まれてくれたら、8割以上。
と先生はおっしゃいました。
ただ、『ファロー四微症』を疑われたときにも出てきた、「22番染色体の異常」。
これが、やはり同じ心臓病である『総動脈幹遺残症』でも疑われ(しかもファローのときは15%だったのが総動脈幹だと35%…あがった(T-T)もしそうだった場合赤ちゃんが小さく産まれることが多いため、手術がより困難になる…
産後の赤ちゃんの入院期間は、おおよそ2ヶ月。
その2ヶ月は、毎日病院へ通うことになります。
上の子(りーくん)の幼稚園と、病院への通院の両立を、2ヶ月。
なかなか大変…ですが、病院へ通わなければならない可能性は、ファロー四微症を疑われたときから考えていました。
りーくんを幼稚園へ送り届け、まっすぐ病院へ向かい時間一杯は病院で過ごし、りーくんのお迎えの時間までに戻る。
幸いお腹の子の予定日は夏休み期間ど真ん中。
りーくんの幼稚園が始まる頃には、わたしの身体も車を運転できるくらいには回復しているはず。
それまでは夫や義母や、もしかしたら田舎の母の手を借りながら、なんとかかんとかになるかもしれないけれど…
それでもきっと、やれる。
“ファロー四微症かもしれない”と早い段階から聞かされていた為、更に重たい病気になったことに不安はあれど、わたしの心は産まれてからの生活に向かっていました。
実家の父母の反応
…ですが、実家の父母の反応は、違いました。
これまでも、赤ちゃんの検診や病院の度に連絡はしていましたし、心疾患があるかもしれないことも話していました。
でも、これまでは”疑いがある”だけだった心臓の病気を、はっきりと”診断”され、『総動脈幹遺残症』という病名がついた。
それが、父と母にとっては、とてもショックなことだったようです。。
母からは、
産まれてすぐに痛く、苦しい手術をしなければならず、その後も苦しい人生を強いられるかもしれない命を、生み出していいのか分からない…
というLINEが届き、父からは、
病気であったり、染色体に異常のある子を育てることがいかに大変なことか…家族にとってもものすごい負担になるのではないか…
という内容の電話がきました。
父と、母の言うことは、分かります。
わたしだって、考えて、考えて、考えたこと…
わたしのことをおもって、言ってくれているのも、分かる。
…それでも、その先に、笑っていられる未来があるかもしれない。
だったら、それに向かって、頑張りたい。
病気を抱えた子を、そうと分かっててこの世に産みだすことは、親の自己満足で、エゴなのか…?
以前だったら助からなかったような病気をもつ、お腹の赤ちゃん。
それを、今の医学で助け、生かすことは、そんなに責められることなのか…?
ただ、生きるわけじゃない。。
根治手術が成功すれば、他の子と同じ…とまではいかないかもしれないけれど、普通に日常生活を送り、学校のマラソンで走ることだってできると言われた。
赤ちゃんにとっても、わたしにとっても、苦しくて大変な出産になるのかもしれない。
…でも、その先の家族の未来が、あるかもしれないのに、、、
これまでずっと「大丈夫」だと支えてくれた父母から、お腹の子を“おろす”という選択肢を提示されたこと…
それがわたしにとってはものすごく悲しくて…ただただショックでした。
夫の気持ち
父母の思いを受けて、また一気に沈み込んでしまったわたし。
病名を聞いてから、夫とまだしっかり話せていないことに気付きました。
心臓の病気と向き合っていくことは話していたので、改めて病名が付き、更に重い病気であると分かっても、わたしと同じように考えてくれているだろうと。
勝手に思っていたのです。
わたしの心を支えていた父母からの”中絶” の提案。
これで、夫にまでやっぱり…と言われたら…
…そんな不安は、夫の一言目でふっとびました。
おれは、安心したけどな。
...安心?????
安心?どこに??安心要素はなくないか???
わたし、クエスチョンマークでいっぱいです。
どういうことか聞きました。
夫いわく。
- 根治する病気であるということ
- 術後にはマラソンもできること(夫の一つの指標のよう)
- 子どもを産む事もできるということ(こちらも夫が気にしてたこと。赤ちゃんを産む事には問題はないそう)
から、手術は成功するし、根治したら問題ない!!!
という結論に達したということです。
唯一気になる点は、染色体異常の確率があがったということだそう。
夫のあまりの楽観的思考に…
いつもだったら呆れたり、イヤイヤと反論するところだけど。
…今回ばかりは、なんだか救われたような気持になりました。
夫も、決して何も考えていないわけじゃない。
色々考えている上での、楽観的思考(だと思いたい)。
これは、わたしには到底できないことです。
…ただ、産後2ヵ月病院に通わなければならない場合、最初の1カ月はどうにしたって自分で病院には辿り着けない可能性があるから(通うことになるであろう病院は、近いところでも自宅から車で40分以上の場所…(~_~;)
その時は会社、なんとか都合をつけてくれ。
という話だけは、しました。
なんせ、「専業主婦がおるんやから 」発言がありますからね。
根に持っています。
当時は、もう2人目なんて…て思ってたんだよな。
今、お腹の中にやってきてくれた命に、本当に感謝です。
夫、以前とはうって変わって「うむ」と頷いていました。
今後
わたしと夫の中では“産み育てていく”と決めたお腹の赤ちゃん。
だけど、心配してくれている父母、そして、近くに住んでいる義父母にも、わたしたちの気持ちが伝わるまで伝えて、お腹の子のことを、受け入れてもらわないといけない…
産前産後、きっとお義母さんに助けてもらわなけらばならないことも、たくさんあると思う。
わたしたちが納得しただけじゃ、ダメなのです。
お義母さんとは直接話せる時間が持てて、大学病院で説明されたことはしっかり伝えました。
心疾患があるかもしれないと言われていた段階から、”おろす”という選択肢を持っていたお義母さん。
心臓の病気がより重たいものになったと聞くと、また不安がってしまうのだろうと思っていましたが…
これまでも心疾患について何度も話してきたからか、父母と比べると、病気については受け入れてくれているように感じました。
ただ、まだお義母さんの気持ちがよく、分からない…
“産む”ということには、納得してくれたのかな…
頼っても、いいのかな…
わたしの気持ちはきっとこの先も変わらない。
でも、不安はなくならなくて、増える一方。
明日からもう妊娠6ヶ月。
はやく、安心してお腹を撫でられる日が来てほしい。。
お義母さんと話したあと、りーくんと公園へ行きました。
公園の桜、すこし咲いてきてました🌸
— ゆーん (@xoyu_nxo) 2020年3月24日
今日は風が冷たいけど
ぽかぽかあたたかい春も、もう少し。 pic.twitter.com/3F0NQpbYcl
冷たい風に吹かれながらも、咲いている小さなピンクの桜が、なんだかすごく逞しく見えました。
早く満開の桜が見たいな。
ゆーんでした。