こんにちは、ゆーんです(。・・)ノ゙
今週のお題「下書き供養」
て、ちょっと面白いですよね。
書いたはいいけど、結局公開せずまま下書きで保存している記事、たくさんあります。
そんな中でも、「勢いに任せて書いてしまった記事」でピーンと思い当たったものがありました。
それが、この記事。
3歳で暴れん坊主と化した息子りーくんに手が付けられなくなって、病みまくって殴り書いた記事です(ノ∀`)←
1年半ぶりに読み返すと、あぁ…そうそうこんなんだった…とえらい懐かしい気持ちになりました。
今だって、りーくんの暴れん坊加減は当時からそう変わったわけでもないんですけどね。
ただ、わたしが下の子みーちゃんを妊娠→出産という期間を経たため、その矛先はもっぱら夫に向いているというか…(^^;)
いやぁ、それにしても当時の自分、頑張ってたわ。これ、夫に読ませたらどんな反応するだろうか…。
と思いました。笑
(絶対読ませられないけどね!!!)
以下、ちょっと読みにくいなと思った箇所だけ手直ししただけの、1年半前の等身大の自分です。
(たまに今の自分がコメントしてます笑)
いやぁ、当時の自分、良く頑張ってたよ…(2回目)。
3歳の男の子ってみんなこうなの?
最近、息子の叱り方が分かりません。
ちょっと前に「叱らない育児」を実践してたじゃないか、と思われるかもしれないけれど、もはや、わたしの手に負える領域を、越えていて。
何と言うか、ねねちゃんママのうさぎが、切実に欲しい。
(冒頭から既に病んでいる。。。(^^;)
何かと攻撃的な息子
3歳になってからか、なる少し前からか。
恐竜同士を戦わせたり、おもちゃの剣を振り回したり、攻撃的な一面が度々見られるようになったりーくん。
▽この本でも、
3歳:常に何かと戦っているとあったけど、まさにそんな感じで。
ついさっきまで可愛らしく電車遊びをしていたかと思えば、突然ハンマーを持って線路を叩き始める。
まぁ、それくらいなら、男の子ってそんなもんか…で済むのだけれど。
その矛先が、わたしにも向いてくる。
床にしゃがんで片付けをしていたら、後ろからすごい勢いで飛びかかってくる。
椅子に座っていたら、背後から首にぶら下がられる。
ちょっと疲れたなと畳に寝転がろうもんなら、お腹の上に膝が降ってくる。
息子は3歳。
たかが3歳の、恐らくは愛情表現であり、スキンシップである。
のだけれど。
15キロを超えた、同い年の子の中でもそれなりに力もある息子の本気のアタックを、受け止めきれるほど母の身体は丈夫じゃないのだ。
後ろから飛びかかられると、身体を支えられずに息子ごと前に倒れて膝は青あざ。
首にぶら下がられると、息が詰まって本気で咳き込む。
お腹の上にタックルされた日にゃ、そのまま横向きに丸まって声も出なかった。
身体中痣だらけ、とまではいかないけれど、それでも数日はズキズキと痛む。
当然、やられたままにはしていない。
なんとか気持ちを落ち着かせながら、りーくんの手をとり、痛かった。わざとじゃないのは分かってるけど、やめてほしい。と、伝える。
でも、りーくんは、わたしが“叱る”体制に入ると、視線を合わせないよう顔を背け、意地でも目を合わせないようにする。
ちゃんと目を見て、ママとお話して。そう伝えても、頑としてこちらを見ない。
終いには、痛かったよ、に対し、いたくないでしょ。と返してくる。
話が一向にすすまない。
次からは、気を付けて。そーっと、して。
そう伝えてその場を終わらせても、少し時間があけばまたすぐに同じことをする。
“痛い”というのが伝わっていないのか。
そんなことが、1日に、何度も、何度も、繰り返されると、夕方くらいには、わたしのイライラもピークに達してくる。
相変わらず、りーくんはわたしの話を聞いてくれない。
わざとじゃないから、直しようがないのか?
りーくんが、自分で力加減を学ぶまで、ただひたすら我慢するしかないのか?
しんどい。
ただでさえ自分のことなど何もままならない息子との1対1の日常の中で、“痛み”をいつまでも我慢し続けられるほど。
話を聞いてくれない息子をいつまでも気長に待ち続けられるほど。
わたしは人間できてない。
晩ごはんを作っているとき、何を思ったのか横から思いっきり拳で殴り付けてきた息子に、“話す”という手段ではなく、“殴り返す”という手段を取りそうになり、
押さえきれないイライラそのままに、その時持っていた現在愛用中の無印シリコーンスプーン(非常に使い勝手が良いです)で、思いっきり自分の左手を叩きつけてしまった。
よっほど力加減ができてなかったのか、いや、自分の手でやったんだから多少なり加減はできてただろうから、シリコーンスプーンの取っ手が思ったより固かったのか、打ち所が悪かったのか。
手の甲は案の定キモチワルイ緑色になってしまって、1週間経ってもまだ、ズキズキと痛む。
血管、なんかずれちゃってる気がして、まずかったなぁ、と思いはするのだけれど。
痛みのおかげでようやくすーっと熱が引いた気もして。
当のりーくんはというと、ママに怒られる!と思ったとたんにキッチンから逃げてるから、手の甲にガァン!の場面は見てない。
見てなくて良かった。
ねねちゃんは、昔はウサギを殴るママを見て「いつものママじゃない」と泣いてたのに、今では自分愛用のウサギを持ってる。
親が暴力的な場面を子どもに見せるのは、良くない。
良くないけど、言葉で分かってくれない息子にどう接すれば良いのか、どうすれば分かってもらえるのか、分からない。
1対1の子育てに限界を感じる
りーくんがそういう行動に出るのは、基本的に家にいるときで。
1人で遊んでいて、ママが隣にいなくて、あれ?と思って探して、飛び付いてくるとき。
要は、「構ってよ~!」という、激しい愛情表現。
分かってる。痛い思いをさせたくて飛び付いてくるわけないって、分かってる。
分かってはいるけど、痛いもんは痛いし、やめて欲しい。
それなら常に構ってあげていれば良いのか?
最近、りーくんは昼寝をしないことが増えた。
朝7時に起きてから、パパが帰ってくる20時までの約13時間。
ひたすら、1対1で、子どもと向き合い続ける。
ムリだ。
家事もあるしご飯も作らないと、とか、そんなことを抜きにしたって、ムリだと思う。
母親1人での育児には、限界がある。
同じことをされても、同じように子どもに怒りを感じても、その場に他の誰かがいるか、いないかで、全く状況は違ってくると思う。
どこにも発散できないストレスとイライラは、自分だけの中に留まって、解消されることなく、ただひたすらに、積み重なっていく。
そのうち、なんてことないことでも、爆発しそうになる。
子どものおふざけに、付き合ってあげられる、余裕なんてなくなる。
どこに何をぶつければ良いのかも、分からなくなる。
外に遊びに行けば機嫌は良い
1対1で家にいるのがしんどくて、最近よくショップモールなんかに2人で出かけるようになった。
朝から出発して、昼もおやつも外で食べて、16時前に家に戻る。
こないだ食べたミスドのハロウィンドーナツは、見た目も可愛いし味も美味しかった(紫イモで甘すぎない)。
外にいる間は、りーくんの機嫌は、とっても良い。
自分でスプーンを持って最後までご飯を食べるし、にこにこの笑顔も止まらない。
それにつられて、わたしまでにこにこになる。
家に帰れば変わらずタックルをかましてくるけど、わたしも発散しているから(最近は無印での買い物も気持ちを落ち着かせてくれる)ある程度なら受け止められる。
でも、そう毎日ショップモールに出かける訳にもいかない。
駐車場代だってかかるし、お昼代だってバカにならない。
なら公園に行けば良いのではないか。
公園。
うちの近所の公園は非常にショボくて閑散としており、他の子どもとも滅多に出くわさない為結局1対1で相手をすることになる。
それでもまぁ、楽しいことは楽しい。
こないだはたくさんどんぐりを拾って帰って、りーくんもすごく嬉しそうだった。
でも、1時間くらいしかもたない(わたしが)。
そうして帰ったらまた、試合開始のゴングが鳴るのだ。
自分時間の圧倒的不足
わたしがこんなに息子からのアタックにイライラしてしまうのは、ここ最近自分の時間が皆無であることが関係している。
お昼寝をしなくなったということはつまり、これまでだったらりーくんが寝ている1-2時間の間にやっていた色々なこと(ブログ書いたりほぼ日書いたりネットサーフィンしたり)がすべてできなくなるということであり、
お昼寝をしなくなったことにより夕方のご機嫌が悪くなるりーくんを機嫌のいいうちにお風呂にいれ晩ごはんを食べさせないといけなくなったということであり(これまでだったら夫が帰宅後にお風呂に入れてくれてた)、
更にはまたまたりーくんが「ぱぱ嫌期」に突入しママとしか寝んねしなくなったことで夜の時間もつぶれ(つまりは夫がいたところですべてわたしがやらなければならない)、
1日ぶっ通しのりーくんの相手で疲れきったわたしはふかふかのベッドの誘惑に勝てず、なんならりーくんより先に寝落ち=自分の時間がゼロということなのである。
合間合間を見ちゃあスマホから下書き加えたり、みんなのブログを見に行ったりもしてるのだけど、しっかりと自分の“自分だけの時間”を持てないことは、1人時間大好き人間であるわたしには致命的で。
ちなみに、今なぜブログを書けているかというと、プッチンしかけてあ、無理となったので今日の寝かしつけは任せたと夫にいい放ちリビングに居座っているからなのだが、なぜか横に、りーくんも、いる。
現在、夜の22時半。
夫は1人、ベッドでスマホを触ってる。
どういうこと?
なんで、夫がいる1日のうちのほんの数時間すら、ひたすら1人で子どもの相手をしないといけないのか。
なんで夫は当たり前のようにりーくんを放っとけるのか。
表情筋が死んでくる。
夫の前で、本当に笑えたのっていつが最後だろう。
あぁ…病みまくってますね…この記事を書いたほんの1年半前は、本気で"離婚"ってものを考えたこともありました。今現在2人目育児中だけど、夫テレワークなおかげで本当にりーくんの時に感じていた"ただひたすらに1人で子育てしている"という感覚が無くなりました。今があるのは、みーちゃんが生まれた事と、憎きコロナのおかげではあるけれど夫がテレワークになり家族の時間が増えたおかげ、ですね…。
結局は、わたしの気持ちの持ちよう
この状態をどうやって打破すれば良いのか。
その答えは、これまでの子育ての中で、薄々学んできてる。
要は、わたしが気持ちを切り替える。
りーくんがわたしに飛び掛かってくるのは、ママに構って欲しいから。
ママに抱きつきたいから。
とっても激しくて物理で痛いけれど、りーくんの最大限の愛情表現。
それを、無下にされて、逆に叱られるから、りーくんは拗ねる。
拗ねて、顔を背け、聞かないフリをする。
ちなみに、りーくんがアタックをかますのは、わたしと、そしてパパにだけ(パパには愛情表現というよりは明らかな攻撃f(^^;)。
あ、当時からパパにも攻撃してたんだったか(笑)
お友だちだったり、夫サイドのじーばーにはそんなことしない。
気を許して、受け止めて貰えると思ってるから、する。
だからといって痛いもんは痛いので、それは伝えるけれど、“叱る”というニュアンスを、なくせば良い。
いったいな~もう(笑)!
くらいで済ませてあげれば良い。
…良い。のだけれど、それができないから困ってるんだよなぁ。
“叱り方”を探していたけど、結局は“叱らない育児”に結び付くのか
冒頭を“叱り方が分からない”で始めたけれど、結局は“叱らない育児”に結び付くのかもしれない。
りーくんからのアタックを上手く受け止めてあげられないのは、わたしに心の余裕がないから。
もっと、自分でリフレッシュできる術を、身に付けなければ。
わたしはきっと、ものすごく溜め込んで、無駄に考えて、どつぼにはまって、沈み混むタイプ。
まだまだ、子どもと接する上での、自分の取り扱いを、上手くできてない。
ねねちゃんママのうさぎ的なものを見つけなければ。
…できれば、攻撃的でない別のもので。
家にカラオケでも導入しようかな。
何か良い案があれば教えて欲しい。
そうこうしてる間にりーくんお膝で寝ちゃったよ(23時)。
意地でもベッドに行かなかったわたし。
そしてりーくん。
明日からはまた一緒にベッドで寝よう。
ゆーんでした(-_-)/~~
1年半前の自分を振り返って
この記事を書いたのは、2019年の10月(りーくん3歳2ヵ月の頃)。
ほんの1年半前のことだけど、随分昔のことのように思います。
当時の自分は、本当にギリギリの精神状態で、夫や実母に「鬱病なんじゃない?」と言われたほど。
(夫に言われたときは、お前がそれをそんな簡単に言うか…と思い、母に言われたときには1番自分の近くにいる2人が言うならそうなのかもね…となんだか色々なことを投げ出したい気持ちになった。)
兎にも角にも病んでいた。
実家に帰省してもイライラが募ったし、
夫に対しては何も求めたくないと思っていた。
そんなわたしが今や、夫がテレワークで1日家に居ることを“嬉しい”と思ってるんですよ。
子育ては、相変わらず大変です。
4歳になり、口も達者で知恵もついたりーくんの相手をしつつ、まだ7ヶ月のみーちゃんをひたすらに抱いていないといけない。
(最近ちょっと床に置いただけで「まンま!まンンま!!」とお呼びがかかり、何も手につかない^^;)
自分1人の時間は1年半前の当時と変わらずないし(これに関してはむしろ今のほうが少ない)、家事は滞りまくっている。
そんなわたしが、当時のように暴走してしまってないのは、間違いなく夫が側にいるからだと思います。
テレワークで部屋に籠りっぱなしで、昼休憩とおやつの時間しか出てこないけど、それでも同じ家にいて、朝ごはんを食べりーくんを幼稚園に送り、晩ごはんも一緒に食べて子どもたちをお風呂に入れてくれる。
たったそれだけ。
それだけだけど、こんなにもりーくん子育て中に感じていた孤独感や閉塞感、どうにかしないとと分かっているのにどうにもできずに沈み混んでいきそうなあの感覚は、まったくといっていいほど無くなりました。
(母にも、今回は産後は元気そうね!りーくん時にはやつれてたけど。と言われた^^;)
やっぱりさ、子育ては、夫婦でするものだと思うのよ。
晩ごはんの時間には家族が揃う。
パパが子どもとお風呂に入ってくれて、一緒にベッドに入ってくれる。
それだけで、救われるママはきっとすごく多い。
子どもが小学校に上がるまでは、パパは定時に帰るべしって条例でもできれば良いのに。
それだけで救われる命すらあるんじゃないか。
と、結構本気で思います。
今でも夫とはたまぁにバチバチと冷戦の火花が切って落とされそうになることもあるけれど、それでも1年半前を思うともう比べようもないくらい関係は改善されていて。
…よく、ここから持ち直したな…??
と、改めて過去の自分が書いた記事を読んで思いました(^^;
みーちゃんのことでのあれやこれやを一緒に乗り越えた…ていうのもやっぱり大きいんだろうなぁ。
あとは、わたしが適当になったこと。←
先日ね、年少さんのときからのママ友さんに、「ゆーんちゃんってO型?」て聞かれたんですよ。
これって、わたしからするとものすっごいことで。
というのも、今までかつてわたし“A型”としか言われたことなかったんですよね。
自他共に認める“ド”が付くA型。
そんなわたしが、O型?て聞かれるってことはつまり、色々なことに拘りまくって自分で自分をがんじがらめにしていた自分から脱け出せたってことのような気がして。
▽積極的に家事を放棄する方向で頑張ってるからね。
なんだか嬉しくなりました( =^ω^)
自分が本当に大切にしたいものは何か。
そのために多少適当に済ませてもよい部分はとことん手を抜き、自分を追い込みすぎないのが大事だよな。と思います。
(そのお陰で部屋は常に崩壊ぎみだけど)
また、どかっとモノを捨てて整理でもしようかな。
今週のお題「下書き供養」
1年半前のモヤモヤを詰め込んだ記事を、今の前向きな自分と共に振り返れて良かったです。
まさに“供養”したって感じ。
夫婦仲の悪い記事なんて読みたくなかった!てな方いたらゴメンナサイネ。
(当時実際ぼやき記事でTwitterフォロー外されたりしたんですよね。わざわざコメント付きで。フォローはずす申告なんかいらんがな(。-∀-)
夫婦仲が最悪だった当時もあっての今の自分たちだと思うので、その辺はオープンにしていきたいです。
病みすぎてて公開にすることすら憚れたこの記事を、こんなこともあったなーと振り返ることができただけで成長!
なんだか気持ちスッキリです♪
あと、りーくんの暴れん坊主具合が多少マシになったのは、単に本人の成長だと思います。
わたし自身が何かをしたから劇的に変化をした!!なんてことは、まったくない。
(現に夫は未だに攻撃を食らっている。)
みーちゃん妊娠中は天使と化したりーくんも、最近ではまたちょいちょいわたしにも手を出してくるようになりましたが、それでも前ほどイライラはしないしりーくんも加減を覚えてくれています。
要は、受け止める側の気持ちのもちようですよね。
心に余裕がないときは、何も受け止められない。
自分の心にしっかり空間を持たせることを、大切にしていきたいです。
▽ついでに供養。ブログのタイトル、最初は「空」にしようかなと思ってたんですよね。
「そら」じゃなく「くう」
空間、空っぽ の 「空」
心に 空間 がないと、いらいらする
自分で、いっぱいいっぱい
大切な人たちの声も、聞こえない 入らない
心に 空間 があると、気持ちが軽くなる
いろんな声や、音が聞こえてくる
新しいことをはじめてみようって、思えてくる
空間 があるってことは、余裕があるってこと
「空」のある毎日を、おくりたいなと思う
ゆーんでした(。-ω-)ノ゙